失われた鉄路をたどる9 明治時代の土木技術をみる

本展示で、問い合わせの多い古写真に目録?21「篠ノ井線西条ー明科間淀ケ沢地区の工事」があります。旧篠ノ井線、安曇野市内の淀ケ沢で煉瓦積み橋梁(暗渠)を造り、その上に大規模な足場を組んで土砂を運ぶ途上、記念写真を撮ったものです。古い文献には「大正時代に起きた土砂災害の復旧工事」と記された例もありますが、所蔵者の話(安曇野市教育委員会経由)や工事内容から、明治時代の篠ノ井線建設当時の写真で間違いないようです。
注目を浴びる理由の一つは、その勇壮な?作業スタイル(企画展示室か図録で見てください)。二つめは、今どうなっているのか?ということのようです。安曇野市教委によると安曇野市東川手地籍「けやきの森自然園」近くにあたるとのことです。残念ながら、大正時代に大規模な土砂災害があったため、コンクリート製の小規模な暗渠に変わってしまっています。ただし、線路敷までの盛土は健在です。
小規模な煉瓦造り橋梁と大規模な盛土の組み合わせは、大規模な橋梁を造るよりもお値段的に安あがりで、近くのトンネル廃土を使える利点もあったようです。現在残っている類例には、淀ケ沢から歩いてすぐの小沢川に架かる橋梁と盛土に見ることができます。また、歴史館から最も近い場所では、現在も活躍中の篠ノ井線(千曲市内)で見ることができます。
小沢川橋梁は煉瓦の積み方に特色があり、美しい仕上がりになっています。このシリーズで紹介した漆久保トンネルの直下ですので、併せてご覧になることをお勧めします。千曲市滝沢川橋梁の近くにも龍洞院架道橋(ともに登録有形文化財)があります。