信濃国のなりたちと人びとのくらし

 「条里と水田」「都と信濃」「平安時代の村のくらし」の3つのテーマから構成されています。奈良地方に都があった今から約1,300年前、中国の政治制度である律令(りつりょう)制を導入して天皇を中心とする中央集権的な政治が始まり、「信濃国」が誕生したのです

古代エリアマップ

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主な展示物

  • 撮影スポットアイコン撮影スポット
  • 体験アイコン体験
  • 音声ガイドアイコン音声ガイド
  • 木製品に使われた木の写真体験

    木製品に使われた木

     弥生時代から古墳時代に作られた木製農具は、15ヶ月もの長期間の保存処理を経て展示しています。パネルから当時の人々がどのように農具を使っていたのかを確認してみましょう。また、展示コーナーの脇には農具の素材になった木に実際に触れることができます。

  • 屋代木簡(布手)の写真

    屋代木簡(布手)

     奈良時代、信濃国の特産物であった布(麻布)は租税として都へ運ばれました。
     屋代遺跡群出土の木簡の中には、「金刺部富止」などの個人名の後に「布手」という文字が書かれているものがあります。これは郡の工房で麻布生産に従事した布の織手(布を織る人)の呼称と考えられます。木簡(複製)から「布手」を探してみましょう。

  • 瓦塔の写真

    瓦塔

     瓦塔は木製の塔を真似て粘土で作られた仏塔です。この瓦塔は、長野市篠ノ井遺跡群の平安時代(9世紀)の集落から出土しました。別々に出土した屋根、各層(階)、先端の飾りなどの一部を組み合わせて展示しています。屋根を観察して、瓦や垂木の表現を見つけてみましょう。

  • 緑釉陶器の写真

    緑釉陶器

     平安時代になると富裕な農民が登場し、村の中には大きな建物があらわれます。当時、庶民は共同墓地に葬られましたが、村の有力者はその身分に応じて、食器や鏡などとともに木の棺に葬られました。塩尻市の吉田川西遺跡の墓からは、緑釉陶器の碗や皿、花と鳥の模様をあしらった青銅鏡などが見つかりました。同じような品は、都の貴族の墓からも見つかっており、この墓の主が抜きんでた力をもつ人物だったことが想像されます。
     吉田川西遺跡出土の副葬品は、国の重要文化財に指定されています。ぜひ、間近でご覧ください。

  • 墨書土器(ぼくしょどき)

    墨書土器(ぼくしょどき)

    墨書土器とは、土器(土師器・須恵器など)の表面に人や村(地域)の名前、おまじないの言葉などを墨で書いたもので、主に奈良・平安時代の遺跡から出土します。
    松本地域の発掘調査では、平安時代の集落から地域の名前を書いた墨書土器がみつかりました。おそらく、村でおこなわれた祭りなどで自分たちの住んでいた地域を示すために書かれていたと考えられます。

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