信濃武士と百姓のくらし
「武士の騒乱と信濃」「鎌倉時代の善光寺門前」「交通と流通」の3つのテーマから構成されています。木曽義仲からはじまる源平騒乱、守護小笠原氏を追い出した大塔(おおとう)合戦、武田信玄と上杉謙信の一騎打ちで有名な川中島合戦など、中世は戦いの時代でした。そのようななかで、中世の人びとは救いを神や仏に求めました。鎌倉時代の善光寺の門前を実物大の模型で再現し、門前に集う人びとの暮らしぶりや想いに浸ることができます。
主な展示物
撮影スポット
体験
音声ガイド
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善光寺の門前
鎌倉時代の善光寺の門前です。善光寺の一光三尊仏は三国伝来の如来として信じられ、極楽往生を願う人々の信仰を集めました。門前では定期市も開かれ、大変にぎわいました。仏像を彫っている仏師の小屋ものぞいて見てください。
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寺庵
寺庵は僧侶の住まいです。どんなものがあるか、くつをぬいで上がってみてください。
縁の下を見ると何かありますよ。 -
木曽義仲と荘園
清和源氏の血を引く木曽義仲は、木曽で反平氏の兵を挙げ、信濃から平氏の拠点であった北陸を進みました。連勝を重ね、ついには平氏を京の都から追い出し「旭将軍」と呼ばれるようになりました。
一方、鎌倉にいた源頼朝は弟の範頼・義経を代官として、義仲の勢いを抑えようとしました。
こうした義仲や義経らの活躍が、後世になって屏風や浮世絵に描かれました。それらを毎月交代で展示しています。 -
銭一貫
中世の日本では銭は鋳造せず、日宋・日明貿易などで銅銭が大量に輸入され、広く国内に流通しました。1貫というのは銭1,000文です。ここでは、一貫文の重さを手にとって体験することができます。
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薄葉景光太田庄神代郷代官職請文
1305(嘉元3)年、薩摩国の武士で地頭職にあった島津久長が、信濃国水内郡太田庄の神代(かじろ)郷(今の長野市豊野町)の税の取り立てと輸送を、代官の薄葉景光(うすばかげみつ)に請け負わせた文書です。遠い鹿児島まで、42万枚の銭とともに大量の信濃産の物資が運搬されていたことが分かります。
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常設展示 解説シート
歴史館まなび隊 2
鎌倉時代の善光寺ここでは、今から700年~800年ほど前の鎌倉時代善光寺のようすを再現しています。
鎌倉時代のようすを描いた『一遍聖絵』という絵巻物をみると、当時の善光寺に集まる人びとのようすが描かれています。これを参考に再現したのがこの展示コーナーです。ダウンロード