失われた鉄路をたどる7 職掌は唯クロカネの道作に候

復元された新橋ステーションの写真
発掘調査後、復元された新橋ステーション。屋外で鉄道遺構がのぞける。後方は展示施設

 「夢をのせた信州の鉄道」展、開催となりました。初日は雨降り、日曜は選挙で歴史館へは脚が向かないかと思いましたが、まずまずの滑り出しでした。先日、鉄道展の成功祈願?のため、日本における鉄道の生みの親、井上勝(まさる)子爵のお墓を訪ねてきました。幕末に長州藩からイギリスに渡って鉄道技術を学び、明治時代の鉄道網敷設に邁進した人です。「職掌は唯クロカネの道作に候」という名言を残しています。碓氷峠の開通にも尽力されました。 
 お墓は東京都品川区の東海寺大山墓所にあるのですが、お墓の西数メートルを東海道新幹線が掠め、その隣に山手線。東側に目を転ずると東海道本線・京浜東北線が通っています。何とも、「鉄道の父」に相応しすぎる場所です(本人の希望という話も)。
 東海寺はかの有名な沢庵和尚が開祖。江戸幕府と深い関係があり、広大な敷地を有していました。ところが、明治時代になると、その敷地のほぼ真ん中に日本初の鉄道(新橋−横浜間)を通すことになったのです。お寺側の意向はともかく、前回取り上げた「鉄道はできるだけ直線、勾配は少なく」という大原則を貫いたのです。品川駅からは、八ツ山・御殿山、そして東海寺を「切通し」たのです。そして、品川駅から新橋側は用地取得上の問題から、海辺に「築堤」で通しました。このように、日本初の鉄道敷設から「切通し」と「築堤」は、定番だったことがわかります。
 両隣とも現役バリバリの路線で「失われた鉄路」シリーズらしくなく、お墓の写真も野暮なので、東京の廃線=復元された旧汐留駅(新橋停車場)を載せておきます。

夢をのせた信州の鉄道 −失われた鉄路の軌跡− 平成28年度 夏季企画展

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