失われた鉄路をたどる6 地味だけど大規模な痕跡を残すもの

丸子町駅近くの切通しの写真
旧上田丸子電鉄丸子線 丸子町駅近くの切通し

 地形も地質もおかまいなく「人が作ったんだぞ〜」と主張するのが、大きな直線の構造物です。発掘された古代東山道(確実なのは県外の遺跡)などを見ると、古代国家は山だろうと谷だろうと関係なく、幅12メートルの直線道路を造っていたことがわかります(ちなみに、現代のセンターラインがある2車線道路の幅が6〜7メートル程度)。自然を克服する技術力や財力だけでなく、複雑に絡み合う地元民の権利関係を飛び越えて「直線にする力」を誇示していました。
 鉄道は、敷設する側と住民側の力関係もあるでしょうが、それ以上に、鉄道の根本的な性質上、できるだけ直線、できるだけ勾配を少なくする必要があります。線路が曲がっていたり急勾配だと、脱線しやすく止まりづらい、あるいは登れないからです。スピードが出せず燃費も悪くなります。旧信越線碓氷峠のようにアプト式ラックレールにしたり、補助機関車が必要になったりと、経費も手間もかかります。さらに、線路や路盤にも負担がかかり保線が大変になります。良いことはありません。
 そこで、高い所は削って切通し・堀割にし、低い所は土を盛って、築堤・盛土をします。こうすることで、山や丘陵を迂回せず真っ直ぐに、勾配も少なくすることができます。
 大がかりな切通しや築堤の痕跡は、廃線になった後でも地形図にしっかり残ります。今なら、ネットに提供されている航空写真などで確認することができ、廃線跡を探す目安になります。現地へ行っても見応えのある場所もあります。

※「夢をのせた信州の鉄道」展、7月9日(土曜日)いよいよはじまります!

夢をのせた信州の鉄道 −失われた鉄路の軌跡− 平成28年度 夏季企画展

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