資料No | 91 |
---|---|
西暦 | 1337 |
和暦 | 建武4年3月 |
説明 | 市河助房の代官島田助朝が、高梨経頼の軍に属し、越後の池長久・風間信昭らと戦い、乗馬を斬り殺されながらも軍功をあげたことを上申し、高梨経頼の証判を得た軍忠状。市河助房が「中風の所労」となったのは建武3年1月17日市河助房代難波助元軍忠状(068)などにみる前年正月の清滝城攻めのころと考えられる。池長久・風間信昭は越後の新田勢力。 |
資料No | 91 |
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西暦 | 1337 |
和暦 | 建武4年3月 |
説明 | 市河助房の代官島田助朝が、高梨経頼の軍に属し、越後の池長久・風間信昭らと戦い、乗馬を斬り殺されながらも軍功をあげたことを上申し、高梨経頼の証判を得た軍忠状。市河助房が「中風の所労」となったのは建武3年1月17日市河助房代難波助元軍忠状(068)などにみる前年正月の清滝城攻めのころと考えられる。池長久・風間信昭は越後の新田勢力。 |