水内郡北長池村文書
資料No | 水内〔9〕9-48 |
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地域 | 水内 |
古文書 | 本文書は、長野県立歴史館が平成22年(2010)に、上條信彦氏から同氏収集の史資料を寄託されたものの一部である。 北長池村(現長野市北長池)は、千曲川の左岸に位置する長野市東部にあった村である。慶長年間(1596~1615)以前には裾花川が村中を流れており、現在でもその流路跡を北八幡川などが流れている。 中世には長池郷と号し、天文5年(1536)の諏訪社造営帳にその名が見える。慶長7年(1602)の「川中島四郡検地打立之帳」には「北長池村」として472石余が記されているので、近世初頭には独立した村として成立していた。江戸時代を通して松代藩領で、明治22年(1889)に周辺の6か村(一部を含む)と合併して朝日村となった。 村高をみると、天正4年(1647)成立の「正保御書上」にはその名が見えないが、天正5年(1834)成立の「天保郷帳」では873石余が記されている。近世を通じて、旧裾花川の流路周辺が開発されて水田地帯が広がったものとみられる。 本文書は、北長池村の村役人の家に伝来したものと考えられるが、詳細はわからない。年代は天明2年(1782)から明治42年(1909)におよぶ。内容は、田地の売買や金子の借り入れに関する史料が多い。明治期の史料に北八幡堰に関するものをはじめ、灌漑や水害に関するものが数点あり、現長野市東部の水田地帯の歴史をひもとく史料として貴重である。 |
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