佐久郡八幡宿依田家文書
資料No | 佐久〔2〕/2-32 |
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地域 | 佐久 |
古文書 | 佐久郡八幡宿依田家は小諸藩御用達の家で八幡宿名主・問屋を兼帯している。このうち、七郎兵衛直慶の時代に酒造業も営んでいた。依田家文書は直慶およびその子仙左衛門直孟(上羽屋)の時代の文書が最も多い。多くの文書は古文書箱に詰められており、この時代の宗門人別帳や年貢皆済帳がまとまって残っている。 まず農業経営関係文書は第一の分類である。 第2の区分は酒造業および直孟の代に興した硝石生産関係文書がまとまっている。後者はとくに弘化3年の「硝石生産願」に始まる。「硝石製法帳」も当時の製法が記述されており貴重な資料と言える。「依田系図」には「小諸城主牧野公に仕え御用達勤務、嘉永年間開港談判により議論沸騰、国事多難の際硝石製造の急務なるを幕府に建言し、硝石製造の御用を聴許せらる。其の製造に係る硝石は年々幕府に納む。年季中仙左衛門自身又は手代の者一人は江戸に詰め切りなり」とあり、幕府から認可され硝石製造の行に携わったことが知られる。このとき江戸で佐久間象山の軍学の講義をうけたと記録される。未整理文書のなかに以上のような関係史料が残されている可能性がある。 このため上羽屋の家運は隆盛した。中山道問屋として多くの寄宿があったことが知られ、宿札も残されている。多くの文化財も収集している。絵画・俳諧・華道の面で精通をしていたと見られる。画家小林白鴎による直孟画像、鷹一隻屏風などもある。 なお直孟の次男鉄之助は偽官軍事件の赤報隊に名を連ねた人物であるが、押印しなかったために処罰を免れたという。 近世後期の依田氏は「八幡村」の名主で近隣諸村の田地あわせて233石もの多くの収納 を擁する農業経営者であると同時に、「八幡宿」問屋といった地域の経済・流通の拠点に位置したため、地域を越えた様々な人物との交流・ネットワークを持っていた。産業を興した才覚者でもあり、当該史料はそれら3様の側面を示す未整理史料が数多く残されていることがうかがえる。 |
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