本目録に収録した標記文書は、2021(令和3)年度に県外古書店より購入した文書で、総点数911点を数える。 下川路村の支配関係は、当初飯田藩領、ついで幕府領となったが、1681(天和元)年には美濃高須領竹佐役所の支配下となった。村高は1702(元禄15)年には1175石の大村であった。近代は明治4年7月に名古屋県竹佐出張所の管轄となり、同年11月に筑摩県に所属した。 本文書群は幕末地方蘭方医関島良基・良致に関わる文書群である。良基はもとは漢方医であり、百華園という薬草園を経営していた。その養子良致は蘭方医柳田凌雲などに名古屋で学び帰郷後は開業し、薬草園経営の他寺子屋教育、歌舞伎誘致などの文化活動をおこなった。維新後は蘭学・本草学の知識を買われてウィーン万国博覧会の物産世話役として物産収集に当たった(青木歳幸「幕末維新期の在村蘭方医関島良致の軌跡」『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年参照)。 特筆すべきは関島氏の門人帳や長崎行きの日記帳、処方に関わる書状、薬種覺や通い帳、刷物など多様な種類の資料が含まれる点である。とくに書状は、長崎・京都・伊豆関係のものが含まれ興味深い。薬処方の解説なども多いが断簡が多くかつ虫損著しい。 |