村石正行収集資料
資料No | 全県〔0〕/0-28 |
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地域 | 全県 |
古文書 | 本目録に収録した標記文書は、2021(令和3)年に寄贈を受けた収集史資料である。県外古書店より収集した近世・近現代資料である。特徴は下記の4点である。 第五に修験関係の掛幅類や雑誌などがある。雑誌「修験」は創刊号から昭和10年代のもの約50冊を含む。いずれもまとまった形では残されていないが、県外流出資料として収集されたものである。 このほか、まとまった文書群をあげると以下の通りである。 「高遠町岡部家文書」1438点 ネットオークションで出品されていたものを収集し寄贈したものである。 岡部家文書は岡部藤平・徳治郎などの書簡類・写真類を収める。藤平(1853~1913)は実業家で江戸時代には金融業・酒造業を行っていた人物である。廃藩置県後、旧藩士らとともに種々産業興隆の計画をおこした。藤平は製糸業のほか畜牛・運送(岡部運送)・ビール製造をおこなった。本資料群にはこうした明治期の産業関係の帳簿類や書類が多数残る点で貴重である。 徳治郎(1883~1959)は藤平の長男。早稲田大学専門部法科を突行後、藤平の事業を継承し製糸・質業・運送業・ビール製造業を盛んにした。また百十七銀行高遠支店長となった。地域名望家として高遠町議会議員を大正14年から昭和8年まで務めている。この資料群でもう一つの特徴は、徳治郎が旧制松本中学在学中の写真類を数多く収めることである。写真を贈答しあう慣習の中で、同期の友人の写真なども含まれている。 「南小谷村荻原家文書」71通 令和5年8月に骨董店において販売されていたものを購入し寄贈された。戦時中の国債の証券や戦時郵便貯蓄証券などが残っている。徴兵関係の史料が多く含まれているほか、荻原兼松(明治5年生まれ)が記した備忘録が明治40年に記したものは、個人の履歴だけでなく、家産等も明示されていることからも含まれている。 「伊那郡中沢村名主文左衛門家文書」25通 諏訪高島藩領中沢(なかつさわ)村の名主家の文書25通である。インターネットでばら売りされているものを収集したものであるが、散逸状況などその全体像はうかがい知れない。中沢村は現在の茅野市玉川に所在した近世村で、南北に大門道(善光寺道)が貫通する交通の要所であった。享保18(1733)年には家数65軒村高233.9石あまりである。本文書群の最古は寛保4(1744)年で、下限は弘化3(1846)年であり19世紀後半のものが多い。なお、売買証文、暇乞願などの上申文書のほか注目すべきは諏訪藩上屋敷類焼に際しての上納金を村役人が寄付した際の藩からの受取状が複数残されている点であろう。受取者である藩の役人から名主宛ての文書は、宛所が極端に下段で小さく書かれているなど興味深いものがある。 |
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