本目録に収録した標記文書は、2017(平成29)年度に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうちの一部で、流出点数が1点もしくは数点の佐久郡関係文書を便宜的に収めており、整理が進み次第随時追加していく予定である。またそれぞれの出所(古書店等)が異なることは注意が必要である。 No.1・2には佐久郡高野町宿大坂屋領右衛門家文書を収める。現在の佐久穂町大日向地区の旅籠を務めた高見澤家の文書である。宿泊者の出身地が峠を越えた甲斐国などに渡っていることなど興味深い点がうかがえる。 No.4~7は佐久郡小海村笠原組関係文書を収める。江戸時代前期の人別棟別帳は写ではあるが初期の村概況がうかがえ貴重である。また出入り関係の写もある。 興味深い史料として、「先祖松千代鉄座御免許并御由緒筋申上候書付扣」(No.8)がある。竪帳を最終的に所持していたのが小諸藩士長沼安定であるが、内容は、三河国松井氏の由緒書で、惣左衛門尉光次が松平清康に仕えたことになっている。特に家康の時代には永禄3年の石が瀬・小谷合戦で松井一統がよく働いた。とくに左近忠次が奮戦し、眼中に鉄砲が当たる怪我を負いながら敵を討ち取ったとある。松井家に嫡子がなく、その所縁で北条家臣松田尾張守から養子を得、家康より幼名松千代と名付けられたという。そして1565(永禄8)年4月18日付で永鉄座支配を免許する旨の判物を与えた。この文書の写がこの記録に掲載されている。江戸時代になって松井氏は徳川忠長に仕えたが、彼の処罰後は武蔵国多摩郡八王子宿で浪人となり、松井家の鉄座支配も廃絶することになる。 この由緒は江戸時代の鉄座再興における由緒として活用されたことが知られる(渡辺 尚志「幕末の鉄座設立運動と由緒」『近世の社会集団―由緒と言説』山川出版社、1995年)。なおこの記録には製鉄材料の写と「鉄類直下仕法之儀申上候書付」が合冊されている。こちらも鉄座の再興をはかる際の由緒として作成されたものであろう。所持している長沼氏は小諸藩牧野家の下級家臣で、出自は牧野氏の出自(三河国牛久保)と関わり三河国芳賀郡長沼(静岡県静岡市)と考えられる。松井氏との関わりは不明である。江戸時代後期における、家と職人の由緒を考える上で貴重なものといえる。 No.9からは佐久郡南牧村高見澤家文書である。明治の耕地図類が多く含まれる。
|