本目録に収録した標記文書は、2019(令和元)年に松本市石川欣一氏より寄贈を受けた収集史資料群である。石川氏は元松本電鉄株式会社勤務で、本史料群は県内外の古書店より購入収集したものである。 (1)諏訪郡 このうち1~80番までは諏訪郡玉川村(茅野市)河西家文書を収める。前半は玉川村真龍院の世話人としての帳簿で、修繕や毎年の大般若経転読に関する寄付金などの史料がまとまっている。後半は明治後半から戦中期のもので河西寅吉・寅実・寅雄3世代に関係する河西家の奥向関係のものが残されている。 81~169番は諏訪郡埴原田村(茅野市)笹岡家文書を収める。前半部分はほとんどが近世後期以降の借用証文・賣買證文である。また一部無尽関係文書も含まれ、講元からの借用証文もある。借用証文には村方三役の裏書き奥印がみられる。諏訪地域は諏訪湖周辺を中心に、近世後期には新田村が多く成立している。明治7年の町村合併で米沢村が成立したが、近世初期は埴原田村・北大塩村・塩沢村の3ヶ村であったが、「天保郷帳」には埴原田・鋳物師屋新田・北大塩・一本木新田・塩沢の5ヶ村に増えている。このうち埴原田新田は1647(正保4)年には450石の村高で、天保5年には624石へと石高が増えている。鋳物師屋新田は埴原田村の土橋氏が開発したという伝承を持っている。本文書群の後半はこの米沢村戸長役場文書が中心となっている。民費・地租関係の横帳簿類が多数で、笹岡和三郎関係の文書が中心となっている。また笹岡家が戸長役場として機能していた事も判明する。 170~235番は諏訪郡玉川村丸茂家文書を収める。玉川村は現在の茅野市で、すべて近代文書である。戸長役場文書が混入しており、丸茂家がその役場であった事がわかる。 241~321番は諏訪郡薬種問屋回春園文書を収める。上諏訪町(諏訪市)にあった薬種商である。関玄悦は 当館所蔵「高島藩医関家文書・家別番号3-23」に見える藩医で、回春園に薬を処方依頼している(0-26-256)。 322~351番も山田新田村文書で、上記の丸茂家のものも含まれているから、同一の出所の可能性が高い。352番以降は村名は不明であるが、藩士が高島藩西御蔵へ切米依頼をおこなっていることが知られる。またそれ以外の村名など不明なものは450番までざっさいとして一括収録している。 (2)伊那郡 451番からは伊那郡を収める。特筆すべき家は、飯田町平野家文書である。山梨県出身の平野谷雄は山梨県警察に出仕し、二等看守になったあと、転居・辞職し長野県に奉職した。更級郡稲荷山戸長役場筆生、屋代警察署に勤務後、飯田町役場に就職し、役場の書記となっている。この間の辞令や俸給書が明治7年から36年頃まで断続的に残っている。また、子の茂雄や静枝の進級證書も散見される。毎年学校名が変わっていることから、転勤族として転校が多かったことをうかがわせる。
(3)筑摩郡 518番からは筑摩郡関係文書を収める(整理の関係で一部回春堂関係が錯簡で含まれている)。 このうち小松家文書は松本市博労町にあった小松商店に関する経営資料および家政文書約300点を収める。家政関係の資料は小松万吉・もとめ・誠一郎・満治に関わるもので昭和30年代までのものまで残っている。小松商店関係は営業収益に関わる通知書や領収書、社屋建設関係などが多数残っている。 |