水内郡大塩村萩原家文書

詳細情報
資料No 水内〔9〕/9-44 
地域 水内
古文書

 本目録に収録した標記文書は、2010(平成22)年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうち66点の文書を収録する。
 大塩村は、水内郡中条村の枝村である。中条村は、東南を土尻川・長井村に接し、西は山上条・青木・梅木・地京原村とした、江戸時代を通じて松代藩支配の中山間地にある村である。「正保書上」、「元禄郷帳」では643石の村高が記録されている。元禄時代の枝村に、大塩のほか田腰・窪・月夜棚・蓬野・松之木・古町・清水・宮・手洗・専納・二重沢・茅河原の13ヶ村が知られる。更に専納村を分村させている。
 本文書群はいずれも質地証文であり、大塩村常左衛門が江戸時代後期に土地を集積していたことがうかがえる。その集積地は、大塩村は言うまでもなく専納村・月夜棚村の中条枝村のほか、隣村の梅木・地京原村にまで及んだ。なお、当地域では大塩を組表記している。松本藩における広域行政区分としての組とは違い、近世村の枝村の表記であることに注意したい。弘化4年の善光寺地震では、中条村全家数130軒のうち潰れ家87・半潰れ22軒、使者は44名と大きな被害を受けている。
 明治維新を経て、中条村は明治6(1873)年に専納村を、昭和30(1955)年には日里村を合併している。平成の大合併で現在は長野市の一部となった。

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