本目録は、2010(平成22)年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうち、標記文書584点を収録する。 安曇郡大町村(大町市)は、江戸時代を通じて支配関係は松本藩領で、大町組に属する。村高は「天保郷帳」によれば1806石余りである。とくに糸魚川街道の中継地点で中馬・中牛輸送が発達した。麻や塩・煙草の問屋も多く点在した。町割りは中世の市に由来するという九日町・六日町・八日町・五日町と本町がある。本町と八日町を直角に結ぶ地点に枡形が認められる。 本文書群は大町村八日町櫻井祐輔に関わる文書群である。その屋号は を用いている(目録上では「一井」と略記・統一している)。運輸業を生業としその文書のほとんどは運送関係の帳簿および送り状、荷受け証などである。また業者間の書状も多い。明治19年に大町~糸魚川間に車道が開通し隣村の常盤村との間に高瀬橋が完成するなど明治20年代は日本海ルートからの物流が増大する画期であった。とくに糸魚川街道の開通は海産物の流入をもたらした。櫻井家文書にも、糸魚川の塩や魚の荷がしばしばあらわれる。 主要街道の開通によって運輸業者も次々に認可された。1875(明治8)年に許可制となった運輸業は希望する者はすべて官許で営業できた。このため明治17年には大町だけで10社を数えた。これは競争を招き明治23年の調査では5社に半減した。櫻井祐輔は、1889(明治22)年5月に「日本運輸会社分店派出所」として営業を始めた。長距離営業に長けていた陸運業として明治40年代まで活動がうかがえる。しかし鉄道輸送が発展すると次第に最寄り駅を中心とする受託に変化していき,従来の中牛馬の強みは失われていった。 本史料群は近代陸運黎明期の輸送業者の文書であり、基調といえる。今後の分析を期したい。
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