埴科郡森村中澤家文書

詳細情報
資料No 更埴〔7〕/7-43
目録巻数 19
地域 更埴
古文書

 本文書群は、平成29(2017)年に千曲市森中澤千尋氏より寄贈された史料で総点数6,009点である。
 中澤家は江戸時代中期以降に森村南組の名主家を勤めている(文左衛門・勇左衛門)。森村は正保期1,259石余り、天保期1,389石余りの石高で、旧更埴市域では本八幡・雨宮・矢代につぐ大村であった。支配は一貫して松代藩領である。森村は南北両組から成り立っており、各組より名主・組頭・長百姓を選出して、6人体制で村運営をおこなっている。この6人体制は森村のほか倉科・矢代・雨宮各村も同様である。松代藩では江戸時代中期以降、入札により名主が選出されていたようである。またこの6人の他に森村には「頭立」と呼ばれる村方三役の補助をする役もいる。当家中澤文左衛門も頭立総代を務め名主に選出されている。文政期には文化・文政期、同時期の森村の名主になった者に中條唯七郎がいる。唯七郎の残した『見聞集録』は江戸時代後期の地域文化、村政、幕府動向に関わる私見など多岐にわたる著述で、近世庶民生活史を語る上で貴重なものとして位置づけられている。見聞集録には名主仲間の当家中澤文左衛門や勇左衛門についても記述されている(「68条」「150条」など)。これらの記述から、当時同村内で唯七郎と文左衛門・勇左衛門が交流を持っていたことは疑いのない事実である。『更埴市史』によれば文左衛門は享和2~安政2年まで私塾を開き寺子屋師匠として知られる。
 中澤家文書の史料概要は大きく5つに分類できよう。
1) 文芸関係 特に詩歌・俳諧・連歌に関する資料が豊富である。
   「白斎宗匠入花三十六孔」「句会短冊」「(句集)」などがある。句会結社は揚柳舎、中澤家当主の俳号は鳳舌と称している。
2) 手習い関係
  各種手習い本・往来物・四書五経など。
3) 名主に関わる村政支配関係
   「検地帳」「岡森用水関係史料」など多数
4) 明治期の戸長関係を示す史料
5) 絵図地図関係
   明治8年2月森村絵図  
 とくに文芸関係史料が豊富に残されていることが目に付く。当館所蔵史料にはあまり見られない史料群である。このほか同村近藤家文書も当館に収蔵されている(7-48)。今後相互関連を調査することで、当該村近辺の歴史的状況が解明されることが期待される。

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