伊那郡法全寺村川手家文書

詳細情報
資料No 伊那〔4〕/4-47
地域 伊那
古文書

 本目録に収録した標記文書は、2010(平成22)年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうち95件100点を収録する。おもな宛は同村名主喜右衛門もしくは源三郎になっている。近代文書に源三郎の名字が「川手」となっているものが含まれる(73号文書)ことから、文書名を川手家文書と命名している。年貢皆済目録が多く残っており、そのほか借用証文・質地証文など土地関係証文がある。土地証文類はほとんどが法全寺村の住人同士の文書であり一部本主が荻坪村関係者が含まれる。
 法全寺村は、村内にある中世の知久氏の菩提寺である臨済宗の同名寺院にちなみ、法泉寺村とも記される。近世の支配関係は、はじめ幕府領、1619(元和5)年に旗本井上氏領、1657(明暦3)年再度幕府領となる。1843(天保14)年飯田藩領、1845(弘化2)年幕府領を経て翌年白川藩領となり明治維新を迎えた。下伊那郡の他村と同様、支配の変遷は複雑である。明治期は千代村、1964(昭和39)年に飯田市の一部となった。
 村高は近世初期は86石、天保年間は枝村山中村を加えて259石となっている。

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