更級郡下戸倉村中町児玉家文書

詳細情報
資料No 更埴〔7〕7-31
目録巻数 15
地域 更埴
古文書

 本文書群は当館が平成25(2013)年に寄贈を受けた史料である。一部は、『戸倉町誌第2巻歴史編上』に「児玉廉吉家文書」として目録化されている。江戸時代は組頭など村役人として村政に関わった家と覚しい。
 下戸倉村は千曲川右岸に位置し、福井村を東に、千曲川を西に接する。南は上戸倉村。北は内川村に接している。下戸倉宿は北国街道坂木宿と矢代宿を結ぶ「間の宿」であった。
 慶長7(1602)年の村高は戸倉村として786石、延宝7(1679)年の「坂木御高帳」では「下戸倉町」558石あまり現れる。江戸時代は天領で、坂木代官所の支配下にあった。現在は何度かの合併を経て千曲市に属している。
 本文書の上限は寛文6(1666)年、下限は大正11(1922)年に及んでいる。大半は江戸時代の文書である。内容は、村政に関わるパブリックなもの(年貢・人別帳など)と、児玉家のプライベートなもの(土地売買・家屋関係などの家政)に相半ばしてわけられる。
 注目したいのは、交通の要衝という意味で街道関係の文書、山論関係の文書、千曲川洪水による文書が地域性を語るものとして興味深い。

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