古文書 |
当館が平成17(2005)年に購入した史料である。 市野川村は、筑摩・更級郡境の聖山の南東に位置し、標高750mほどの山中の小盆地に広がる村である。北国脇往還(善光寺道)の猿ヶ馬場峠から麻績宿へとむかう中途で最初に通過する集落でもある。支配関係は江戸時代を通じて松本藩領である。 天正期の検地では村高が226石であるが(「筑摩安曇両郷村御朱印帳御高附」)正保4(1647)年成立の「正保御書上」では206石あまり、「天保郷帳」では344石あまりが記されている。戦国時代には村が成立し、江戸時代後半に村高が増加しているのである。 明治8(1875)年の合併で麻績村となり昭和31年に現在の麻績村となっている。 市野川村名主若林家に伝来したものである。若林家は明治8年の合併で新村が生まれると、副戸長に就任している。文書は総点数3,053点で、近世と近代がほぼ半数で拮抗している。上限は正保4(1647)年、下限は昭和27(1952)年にわたっている。村政関係のものが中心である。 江戸時代は年貢や人別改など名主家に伝来する文書の基本的な種類はそろっている。郡境や交通に関わる文書も多く、江戸時代の交通の要衝にあった村ならではである。明治期は、いわゆる地方名望の家として、地租改正・地籍調査などの行政文書のほか、市野川学校の設立など維新から明治初期にかけて信州の村がどのように変化したかがわかる史料が多い。また、猿ヶ馬場峠付近の図や地籍図は、測量の痕跡や図法の点で、当館所蔵「長野県絵図・地図」(データベース参照)の史料と比較検討できるものもある。 |