当館が平成6(1994)年に購入した史料である。 峯方村は犀川左岸の山中に位置する安曇郡の村である。「峯方」の地名は、文禄年間の成立とされる「筑摩安曇両郷村御朱印帳御高附」に「日岐峯方村」として現れるのが所見とされ、戦国時代末期にはすでに村が成立していた。 村高は正保4(1647)年成立の「正保御書上」には「日岐峯方村」として134石あまり、天保5(1834)年成立の「天保郷帳」では「峯方村」として140石あまりが記されている。急斜面が大半の中山間地ということで江戸時代を通じて大幅な石高の増加はなかった。 江戸時代は松本藩領で、明治になって陸郷村となった。現在の行政地域は北安曇郡池田町に属している。 本史料群は峯方村村役人家に伝来したと覚しいが点数が少ないため詳細は不明である。ただし、北山村成就院関係文書が数点含まれる。また煙草畑を進呈する文書からは、江戸時代のブランドとしてこの地域の煙草葉栽培の様子がうかがえる |