諏訪郡乙事村五味家文書

詳細情報
資料No 諏訪〔3〕/3-26
地域 諏訪
古文書

 本目録に収録した標記文書は、2017(平成29)年度に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうち、諏訪郡乙事村五味家文書史料37点を収める。
 乙事村は現在の諏訪郡富士見町にあたる近世村で、支配関係は高島藩領である。古くは乙骨村と呼ばれ、甲斐国に近接することから戦国時代には武田氏や徳川・北条氏の戦いが起こった場所でもある。中世の有力地侍五味氏は武田氏に仕えたが、その後徳川氏の入部にともないその家臣となり、1590(天正18)年の家康の関東移封に伴い関東へ移住し乙骨氏を名乗った。いっぽう一族のうち帰農した者は乙事村の名主家を形成したという(『長野県富士見町史 上巻』)。
 1613(慶長18)年の検地高では60.5石、1647(正保4)年には113.6石と記されている。次第に村高は増加し、明治年間は600石を越える大村となった。人口も次第に増加し、1733(享保18)年には130軒だったものが、明治には230戸で1100人余りにまで増えた。
 比較的目に付くのは、文化文政期の算用帳簿で、項目毎に詳細な金銭出納および年貢関係の請取が記されている。当該期の同村名主の経済活動が読み取れるだろう。明治期のものも散見され、金銭の出入りがわかる。いっぽう、村役に関わる村方文書などは残されていない。

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