本目録に収録した文書は、2010(平成22)年および2017年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうちの一部で、流出点数が1点もしくは10点程度の水内郡関係文書を便宜的に収めている。したがってそれぞれの出所(古書店等)が異なることに注意が必要である。 No.1~6は飯山藩士小林只七家文書6通である。藩政期は鍛冶職人であったと見られ、維新後は飯山県において兵器方に任じられている。暦應5(1342)年の年紀を持つ薄墨綸旨写が含まれている。典型的な近世の由緒系譜を造作した偽文書であるが、江戸時代における職人由緒の創成をみるうえでも興味深い史料であろう。 No.7は妻科村(長野市)戸長役場関係文書のなかの戸籍であり、個人情報保護の観点から非公開である。 No.8は竹生村(上水内郡小川村)の幕末の軒別人別帳である。No.10は東京から善光寺さらに北国西街道を経て大阪に入る際の道中案内の刷版である。善光寺を中継としていることから便宜的に本目録に掲載した。大阪の一新構社の発行である。 No.11からは酒造関係の文書を収載する。水内郡舟竹村(上水内郡信濃町)・吉田村(長野市吉田)などを宛先としているが、いずれも酒造株譲渡の証文および酒造道具書上である。10石程度の規模の酒造株で、近世後期の村の酒造の規模がうかがえる。また道具書上からは、酒造関係の道具類の名称がうかがえるので興味深い。 No.18からは堰関係の絵図断簡4枚が含まれる。時期は1870(明治3)年の年紀があり、池田義一郎による写であることがわかる。池田は四ッ谷村(長野市川中島)の人で、明治3年に民部省より犀川通り堤防取り締まりにつき命じられている(「飯島家文書」長野市公文書館写真資料3-3125.001「乍恐以書付御訴奉申上候」)のでこの時の絵図面の一部と考えられ、池田氏関係資料と見なすことができる。
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