本目録は、2017(平成29)年に長野市塩入宏子氏より寄贈を受けた標記文書群901件1139点を目録化したものである。 山布施村(長野市篠ノ井)は近世は松代藩領で、『慶長打立帳』528石、『元禄郷帳』530石と村高はあまり変わっていない。しかし新田高は天保年間には1124石余りと村高の2倍以上の開発が進んだ地域である。山布施地域は中山間地でありながらため池が多く、水田開発が進んだことを示している。 本史料群には水田年貢割付帳も多く、中山間地域の農業形態をうかがうことのできる貴重な史料群といえる。 その後、1873(明治6)年に山村山・青池各村と合併して近代山布施村が成立した。戸長役場は字若林の塩入家に置かれた。さらに明治22年には有旅村と合併し信里村となった。戦時中の史料も含めて近代の信里村における行政の一端がうかがえる史料も含まれる。 本史料群の多くは江戸時代後期の文書が多数であり一部明治~戦中期のものが含まれている。分類すると大略以下の通りである。 (1)山布施村名主関係文書 横帳類(年貢名寄帳)および貸借証文類 (2)近代信里村役場文書 かつて信里村村長を務めていたことから明治10年代以降の簿冊が残っている。 (3)地券類 山布施村塩入家の土地集積および地主経営の一端がうかがえる。 (4)塩入家関係文書類 上記以外の私的な文書類(親類書・賞状類など) なお、本史料の所蔵者だった塩入利男氏は小児科医業のかたわら、生家の古文書解読および全文書の分類整理の途上であったが逝去され、その志は中断した。当館では氏により整理された原秩序を優先し、目録作成をおこなっている。 |