本目録は、2017(平成29)年度に上條信彦氏より追加寄託を受けた収集史資料群のうちの標記文書36点を掲載する。 筑摩郡北小野村(現塩尻市大字北小野)は、旧中山道の塩尻宿から善知鳥峠を越えた所にあり、伊那谷の最北端に位置する。上伊那郡辰野町の小野と一連の集落を成しており、もとは伊那郡小野村(辰野町大字小野)と一村であった。1591(天正19)年松本城主石川数正と飯田城主毛利秀頼との間で領地争いが起こり、豊臣秀吉の裁定で二分され、北の松本領分は筑摩郡、南の飯田領分は伊那郡となった。松本領分北小野村は、当初、単に小野村、または北方小野村と称した。北小野村は、1725(享保10)年からは幕府領、1743(寛保3)年からは松本藩預り地となった。 その後北小野村は、1869(明治2)年伊那県、同4年筑摩県の所属となる。同8年勝弦新田村と合併し筑摩地村と一部となる。昭和34(1959)年に塩尻市となり現在に至る。 村高は、265石余(正保書上)、263石余(元禄郷帳)、771石余(天保郷帳)。 本文書は北小野村の名主を務めた小野家に伝来した文書である。とくに村内の村絵図は小野幸四郎が写した彩色耕地図で、村内21枚を数える。また、1815(文化12)年公卿等の日光東照宮参詣時の塩尻宿に賦課された助郷役の割付、通行時の書留写など、名主役に関わる文書がまとまっている。 |