筑摩郡北小野村古厩家文書

詳細情報
資料No 安筑〔5〕/5-71
地域 安筑
古文書

 本目録は、2017(平成29)年度に上條信彦氏より追加寄託を受けた収集史資料群のうちの標記文書101件111点を掲載する。
 筑摩郡北小野村(塩尻市大字北小野)は、旧中山道の塩尻宿から善知鳥峠を越えた所にあり、伊那谷の最北端に位置する。上伊那郡辰野町の小野と一連の集落を成しており、もとは伊那郡小野村(辰野町大字小野)と一村であった。1591(天正19)年松本城主石川数正と飯田城主毛利秀頼との間で領地争いが起こり、豊臣秀吉の裁定で二分され、北の松本領分は筑摩郡、南の飯田領分は伊那郡となった。松本領分北小野村は、当初、単に小野村、または北方小野村と称した。北小野村は、1725(享保10)年からは幕府領、1743(寛保3)年からは松本藩預り地となった。
 その後北小野村は、1869(明治2)年伊那県、同4年筑摩県の所属となる。同8年勝弦新田村と合併し筑摩地村と一部となる。1959(昭和34)年に塩尻市となり現在に至る。村高は、265石余(正保書上)、263石余(元禄郷帳)、771石余(天保郷帳)。
 本文書は北小野村の名主を務めた古厩家に伝来した文書である。主には幕末から明治初期の文書が過半を占めている。江戸時代の文書は北小野宿宿継ぎ関係の文書や、廻文の写が多い。明治期には一時古厩家が筑摩地村戸長役場となっていたことから、役場関係の行政文書も含まれている。役場職員の名簿や出勤簿は珍しいものといえる。
 村の特産物に石灰焼や莨があったことが複数の史料からうかがえる。古厩家はこの石灰焼も商売としておこなっていたことがわかる(5-71-19)。当該期の上層百姓同様、融通をおこなう村の金融業も営んでいる。

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