水内郡妻科村水崎家文書

詳細情報
資料No 水内〔9〕/9-41
地域 水内
古文書

 本目録に収録した文書は、2017(平成29)年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうち表記の家文書を収めたものである。 
 妻科村は北国脇往還を境に権堂・問御所各村に接し、北は長野村・越村と接する。南は中御所村、鶴賀村・栗田村を境にする。近世を通じて支配関係は松代藩領であり、枝村には後町・新田・石堂各村がある。村高は1602(慶長7)年検地によれば631石となっている。村内には後町の十念寺・正法寺・西光寺など古刹がある。1881(明治14)年に南長野町となり同22年に長野町となった。
 本史料群は、幕末から明治初期に至る宗派ごとの人別帳を収めている。名主は曽兵衛および惣左衛門であり、村方三役による書上となっている。この家は明治期水崎姓を名乗っている。なお、宛は松代藩郡奉行・宗門御改掛である。
 一部非公開史料があるので注意を要する。
 妻科村は1809(文化6)年には人口1,006人であったように、善光寺膝下で街道沿いの繁栄した「町場」であった。水崎家文書は年季の連続した人別改帳を数多く含んでおり、幕末から明治初期の同村における人口動態をうかがえる貴重な史料群と位置づけることができる。

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