今井家文書(善光寺領代官文書)

詳細情報
資料No 県立長野図書館移管文書〔10〕/10-3
目録巻数 1
地域 県立長野図書館移管文書
古文書

本目録に収録した今井家文書は、県立長野図書館が昭和35(1970)年6月に今井守氏から寄贈を受けた文書である。今井家は水内郡旧善光寺町(現長野市横沢町)にあり、ながく善光寺大勧進の代官を勤めた。そのため善光寺と善光寺領関連の文書が多い。文書の年代は、寛文4(1664)年から大正5(1916)年に及び、近世の比較的早い時期から近代までの文書を含む。
 善光寺領の政治を担当したのは、おもに大勧進の寺侍たちで、なかでも今井・中野・久保田・上田の諸家は東叡山から善光寺譜代を申し付けられた。そのため代官、手代、家老などの重要な役職はこれら特定の家で世襲した。代官は善光寺役人の筆頭として行政・司法を統轄し、領民に対する布達は代官から町年寄一庄屋一組頑と伝達された。
 今井家は天和年間(1681~83)に侍分に取り立てられ、やがて代官を世襲した。在職中の役料は70俵で、代々磯右衛門と称した06代磯右衛門は、安永9(1780)年から文化8(1811)年まで代官を勤め、柳荘の俳号で一茶とも親交をもった。7代磯右衛門は文化10年に免職。8代磯右衛門は天保9(1838)年の免職以後も菊翁と称して活躍したが、嘉永3(1850)年には寺領追放になった。代官は9代磯右衛門へと引き継がれ明治維新を迎えた。今井家の文書中に古典籍が多いのは、柳荘・菊翁の文芸活動とかかわりがある。
 寺侍による政治は、明治4(1871)年に善光寺領が中野県に上知されることによって廃絶した。今井家をはじめとする諸家は善光寺大勧進の事務職となったが、今井家は明治中期に辞任した。

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