小野家文書(善光寺領問屋文書)

詳細情報
資料No 県立長野図書館移管文書〔10〕/10-2
目録巻数 1
地域 県立長野図書館移管文書
古文書

 本目録に収録した小野家文書は、県立長野図書館が昭和35(1970)年6月に、長野市大門町の小野毅太郎氏から寄贈を受けた文書である。小野家は江戸初期から幕末まで善光寺宿の問屋を勤めていたため、同家文書は交通・運輸関係の文書が多い。文書の年代は、写本で寛文11(1671)年を最古とするが、原文書では宝永2(1705)年から明治7(1874)年に及ぶ。
 弘化4(1847)年の善光寺大地震に小野家も崩壊全焼したが、幸い文書は持ち出されて難を逃れた。文書の痛みが目立っのはそのためであろう。小野家は古くは酒造・呉服屋を営み、あわせて農業・問屋もおこなっていた。19世紀の半ば過ぎには商業・農業の兼業をやめて、問屋専業になった。小野家文書の『善光寺町年寄・問屋・本陣・庄屋名前帳』には、慶長期から嘉永期までの間の役人名が記されており、小野家の問屋役期間がくわしく知られる。
 小野家文書の代表的な史料に『小野家日記』がある。76冊の伊勢暦の余白部分にその年月ごとの出来事を記している。欠落している年があるものの、宝永2(1705)年から慶応3(1867)年に及んでいる。内容は天候・農事作業・近隣火災の記録のほか、松代藩主真田侯の動向、加賀藩・高田藩の参勤交代、天保の飢饉、千曲川通船、権堂村売女事件などについて詳しく記している。このはかに、小野小太郎が天保4(1833)年から安政4(1857)年までの出来事を記した2冊の日記がある。これは「御用留日記」の類で、触書きを書き留めているほかには、弘化4(1847)年の善光寺地震の様子を詳しく記している。
 文政10(1827)年に江戸で出版された『諸国道中商人鑑』には、小野善兵衛家は「信州善光寺町・問屋・検断・諸士様方御宿仕候」と紹介されている。嘉永元(1848)年には、12代目の善兵衛が善光寺大勧進代官の今井磯右衛門と言い争いをしたために、問屋役を罷免された。

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