山田家文書(中野幕府領名主文書)

詳細情報
資料No 県立長野図書館移管文書〔10〕/10-1
目録巻数 1
地域 県立長野図書館移管文書
古文書

 本目録に収録した山田家文書は、県立長野図書館が昭和32(1957)年7月に購入した山田理右衛門家旧蔵文書である。同家は高井郡東江部村(現中野市江部)の名主を勤めたことから、江戸時代後期の村方文書が中心である。
 文書の年代は、享保14年(1729)から明治35年(1902)に及び、宝暦~天明期及び天保・弘化期に名主理右衛門の名がみえる。租税関係文書をもっとも多く含むが、小作人帳・当座帳・金銀出入日記・通帳などの私文書もある。天保12年(1841)の宗門人別帳によれば、山田家一族は高井郡片塩村大徳寺(中野市片塩・曹洞宗)を旦那寺としており、理右衛門家の持高は28石余で家族は6人であった。弘化元年(1844)に同家は16人の小作人を抱えていた。
 東江部村は、中野扇状地の末端に位置し、もとは西江部村と一村であったが江戸時代初期に分離独立した。江戸前期には頻繁に所領が変わったが、享保2年(1717)からは幕府領となり中野代官所の管轄下に置かれた。村高は元禄郷帳で603石余、天保の郷帳で610石余、天保12年には家数62軒(内堂3軒)、人数270人(内22人他出)であった。明治8年
(1875)の東西合併で江部村となり、明治22年(1889)以降は下高井郡平野村に属した。
 山田家文書は、別に84点を長野県須坂高等学校が所有しており、本館に寄託されている。これは、同校が昭和45年(1970)以前に収集したもので、東江部村の宗門人別帳・差出明細帳・天保飢饉史料などが含まれている。また、同家の親戚である同村の豪農山田庄左衛門家の文書には、国文学研究資料館史料館(東京都品川区豊町1-16-10)で所有しているものもある。この文書については、『史料館収蔵史料総覧』(国文学研究資料館史料館編)に詳述されている。

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