一般文書(北信濃諸家文書)

詳細情報
資料No 県立長野図書館移管文書〔10〕/10-0
目録巻数 1
地域 県立長野図書館移管文書
古文書

 本目録に収録した一般文書とは、県立長野図書館が昭和30年代から同40年代にかけて順次購入した文書群である。水内郡中俣村文書・更級郡東福寺村文書・須坂藩領通船関係文書など作成もとの異なる文書を購入等によって一括受け入れたために、一般文書と名づけられた。したがって文書の出所については定かでない。文書の年代は、写本では寛永2(1625)年を最古とするが、原文書では宝暦14(1764)年から明治40(1907)年に及んでいる。
 水内郡中俣村は江戸期から明治9(1876)年までの村名で、江戸期は一貫して松代領に属した。村高は元禄郷帳で587石余、天保郷帳で652石余、家数は安政3(1856)年に80軒であった。明治9年に長野市柳原村の一部となった。中俣村文書は年貢関係文書が大半を占め、松代藩特有の月割上納制(その年度の重税を秋の収穫以前から月割りによる金納で上納させる仕法)の実態がうかがえる。
 更級郡東福寺村は江戸期から明治22(1889)年までの村名で、江戸期は一貫して松代藩領であった。村高は元禄郷帳で587石余、天保郷帳で652余石、家数は安政3年に210軒であった。千曲川沿いの村であることから水害の常習地で川欠地が多かった。現在は長野市篠ノ井に属する。東福寺村文書は、同村の荒川九郎が26歳から75歳まで書き綴った日記40冊を含んでいる。これらの日記は安政3年から明治38(1905)年にわたっており、幕末期の疾病蔓延のようすや明治6(1873)年創設の東福学校の運営などを丹念に記している。
 須坂藩領通船関係文書は千曲川通船をめぐる係争を記した文書が中心である。天保年間、水内郡西大滝村の名主太左衛門が西大滝から松代までの新規通船運送を中野代官所に願い出た。これに対して、大笹街道経由で上州方面から入荷した諸品を松代・上田方面へ売りさばいていた陸送依存の須坂町では、市場の衰微を懸念して反対した。西大滝村太左衛門家の千曲川通船関係文書は、別に水内郡西大滝村斎藤家文書(9-4)として本館に寄託されている。

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