水内郡妻科村後町組宮澤家文書

詳細情報
資料No 水内〔9〕/9-29
地域 水内
古文書  本目録に収録した大妻科村後町組宮澤家文書は、平成22年(2010年)に上條信彦氏より寄託を受けた史資料群のうちの一部である。
 後町組は妻科村の枝村のひとつである。妻科村は裾花川河岸段丘状に位置し、「つまなし」とも呼称された(善光寺大勧進文書)。江戸時代は松代藩領で、村高は元禄期に631石余りであった。枝村は後町のほか、本郷・新田・石堂の4組で、いずれも善光寺町に近接する交通上の要衝であった。後町組は寛政9年(1797)に分村願を出したが、幕末まで事実上妻科村の枝村かつ善光寺町の一角を示す8町のひとつであった。
 本史料群は、史料点数自体は少ないが、近世末から明治初年の質流証文あるいは譲状が過半を占める。いずれも後町組の百姓清兵衛が土地集積の請人となっている。清兵衛が後町組のみならず平林村・中御所・三輪村など広範囲に質地地主経営していることがうかがえる。明治初期には宮澤姓を名乗り、土地買得を進めており売渡証文も残されている。
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