水内郡栃原村川浦家文書(松代藩境守役仰付文書ほか)
資料No | 水内〔9〕/9-9 |
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目録巻数 | 9 |
地域 | 水内 |
古文書 | 本目録に収録した水内郡栃原村川浦家文書は、長野県立歴史館が平成11年(1999)に寄贈を受けたものである。 栃原村は、裾花川とその支流楠川にはさまれた所に展開する村である。天保郷帳による村高は、1,040石である。近世初期、戸隠神社領となった下楠川村、奈良尾村、宇和原村を分村し、明暦3(1657)年さらに志垣村、追通村を分村した。領知は近世を通じて松代藩領であった。明治維新後は、明治22年(1889)柵村となり、昭和32年(1957)戸隠村の一部となり、平成17年長野市の一部となった。 本文書は、栃原村の川浦家に伝来してきたものである。川浦家は、倉平(長野市戸隠)にいたが、武田氏に追われ、越後の川浦へ逃れ、慶長年間に帰農し倉平へもどり、その後栃原へ移住した。近世は、検地役人の宿泊する家であったので「本陣」とよばれていた。 文書は、2つの巻物にまとめられている。年代は、慶安5年(1652)から明治5年(1872)におよぶ。文書の内容は、川浦家が御用金上納や飢饉時の施行により藩より賞されたものや川浦家の出自に関する「家」文書が多い。また、山論や穀商売仲間に関する文書もあり、西山(山中)の地域社会をうかがうことができる。 |
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