水内郡新町村文書

詳細情報
資料No 水内〔9〕/9-5
目録巻数 13
地域 水内
古文書  新町村(現長野市)の村方文書で、484点のうち判明する年代が万治2年(1659)から大正12年(1923)に及ぶ近世から近代にわたる文書群。長野県立歴史館が平成8年(1996)に購入した史料。
 新町村は犀川中流部左岸に位置する松代藩領の村で、村高は初見の正保4年(1647)の正保御書上には351石4斗3升9合と記されている。明治元年(1868)の旧高旧領取調帳では265石余とされている。新町通人別改帳によれば天保7年(1836)の人数1,175人(男590人、女585人)であった。明治9年(1876)に信岡村の成立にともなって吸収され消滅したが、明治14年(1881)に信岡村が当村と上条村に分立し、村名が復活した。明治22年(1889年)に水内村、昭和29年(1954年)に久米路村、翌30年には信州新町の一部となった。その後、平成22年(2010年)に長野市へと編入され現在にいたっている。
犀川流域の物資の集積地として栄え、天保3年(1832)より松本城下との間に犀川通船が行われた。これにより物資の輸送力は格段に増加したが、積荷などをめぐってしばしば善光寺街道筋との間で紛争も生じた。本史料には、田地・立木山・家屋敷などの譲渡・売り渡し証文、借用金証文、延滞約定証文、請取・領収証関係文書などがみられる。また大正期には質物台帳などがみられる。
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