高井郡赤岩村湯本家文書

詳細情報
資料No 高井〔8〕/8-20
地域 高井
古文書

 本目録に収録した標記文書は、2017(平成29)年度に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうちの一部である。高井郡赤岩村(現中野市)村役の湯本政之助・忠左衛門関係文書を収めた。赤岩村は明治維新で伊那県、1870(明治3)年中野県を経て長野県に属した。明治9年には合併して科野村となった。
 赤岩村は現在の中野市北部高社山麓に広がる村名である。はじめ森忠政領、1621(元和2)年には旗本領となり、福島正則領、天領、飯山領、天領など支配関係を転変としながら、1724(享保9)年に天領となった。「信濃国高井郡赤岩村地頭録」にも領主の変遷がまとめられている(8-20-17)。高社山は中世は山岳修験の山で神宮寺を中心に信仰が広がったが江戸時代は神宮寺跡に谷厳寺が移転している。また延喜式内社の論社「高社神社」は地域の産土神として親しまれ、本史料群にも遙拝所建立に関する諸帳簿が含まれている。
 当該史料で特徴的なものは、第一に隣村夜間瀬村との山林相論関係文書(8-20-61)、元禄期の検地帳(8-20-27)など近世農村社会の一端をうかがえる貴重な史料も含まれていることもさることながら、科野村役場時代に湯本忠右衛門が職員(筆生)となったことから、役場文書の一部が残っていることであろうか。また地域の学校孝道学校建設に関する史料もある。
 また湯本氏は産土神社である高社神社総代を務めた。高杜神社(高山村)との社号相論関係史料も含まれる。
 300番台の多くは江戸時代後期の政右衛門・庄之助の時代の質証文・借用証文、土地売買関係の券文で、土地集積がおこなわれていたことが明瞭となっている。赤岩村はいうまでもなく、柳沢村など近隣諸村の土地も含まれていることに注目したい。これにより赤岩村湯本家が広範囲な質地地主経営をおこなっていたことがうかがえる。またその証文類は定型化されており文言から数パターンの雛形の存在がうかがえる。いずれも名主の奥書奥印がある点もこの地域の特質を表していよう。また各種奉公人の年季売証文も数多く残っている。
 このように当該史料は岳北地域の地主経営の様子がうかがえるのであり、江部山田庄左衛門家とともに一つの事例として研究対象となりうるであろう。
 なお赤岩村については湯本達保『たかやしろ山麓・若岩村の歴史』(ほおずき書房、2007年)が詳しい。

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