本目録に収録した野崎家旧蔵文書は、長野県立歴史館準備室が平成5年(1993)に名古屋市内の古書店から購入した文書である。高井郡虫生村(野沢温泉村虫生)で長く村役人を勤めた野崎家の文書で、かつては野崎文雄氏・貞子氏が所有していたが、その後同家からほかへ移ったものと考えられる。野崎家の家屋は取り壊されて、現在虫生地区にはないが、山林に関する文書など一部の文書は虫生地区の他家で保管している。文書の作成年代は慶安5年(1652)から大正12年(1923)までの長期におよんでいる。 虫生村は江戸時代の初期は松代藩領で、その後は飯山藩領になり、享保2年(1717)からは幕府領となった。村高は元禄郷帳で160石余、天保郷帳で276石余であった。幕府領時代は、おもに中野陣屋の支配を受けたが、後期には一時期、越後国の脇野町陣屋、川浦陣屋の支配を受けたこともある。明治元年(1868)から伊那県、同3年には中野県、同4年以降は長野県に所属し、同8年に市川村の一部となった。 文書の内容を見ると年貢関係史料、金銭証文・土地証文が多く、山論・境界論争にかかわる史料は注目される。明和4年(1767)、幕府領中野代官所から江戸回米の布達があったとき、領内村々から代表が江戸へ出訴することを決めた。これに関する史料がいくつかあり、広く領内のようすが知られる。近世のものは村政にかかわる地方文書だが、明治以降のものは私家文書である。同家所蔵の文書では、慶長7年(1602)の検地野帳や元和元年(1615)の堀直寄在々法度(置目)が知られているが、この文書群には含まれておらず、慶安5年以前の文書の所在は不明である。 |