更級郡布施五明村村松家文書
資料No | 更埴〔7〕/7-49 |
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地域 | 更埴 |
古文書 | 本目録は、2017(平成29)年度に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうち、表記家文書153点を掲載する。 布施五明村は千曲川と茶臼山に挟まれた中間に位置し、現在の長野市篠ノ井地区にあたる旧村名である。地域は五明本郷・瀬原田・柳沢各組に分けられている。いずれも近世村であった。本文書の旧蔵となる村松家は、柳沢に住していた。柳沢組は、江戸時代には柳沢新田村として新たに開発されており、元禄15(1702)年の段階で村高54石程度であったことが知られる。明治5(1872)年にこの3ヶ村が合併し布施五明村となる。 本目録には主に明治初期から20年代の文書が数多く含まれているが、一部近世文書も散見される。ほとんどが明治期布施五明村の代議人で戸長を勤めた村松源左衛門が作成した帳簿類である。また、近世文書は名主源左衛門の記録類(納税帳簿類)が数点ある。 本文書群で特徴的なものは明治初期の学校関係の史料が多いことである。第一に、源左衛門が村政に関わったことから学校経費の割当納入に関する手控えが残っていること、第二に源左衛門の家族と見られる子供たちの修業証書が断続的に残っていることが着目される。前者は、学校経営に地域住民の金銭的な協力を必要としていること、後者は中央政府による学校制度の変遷とともに地域の学校の名称や教育課程の変化をうかがうことができる点で興味深いといえるだろう。 |
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