更級郡本鹿谷村文書
資料No | 更埴〔7〕/7-41 |
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地域 | 更埴 |
古文書 | 本目録に収録した標記文書は、2010(平成22)年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうちの一部である。 本鹿谷村は現在の長野市信州新町信級地区にあたり、明和2(1765)年に外鹿谷村とともに鹿谷村から分立して成立した村である。幕末(元治元〈1864〉年)の村高は262石となっている。支配関係は元和8(1622)年以来、松代藩下であった。明治8(1875)年5月の鹿谷村戸数は本鹿谷村144戸、外鹿谷村93戸で、翌明治9年に本鹿谷村と外鹿谷村を併せて信級村となった。その後、昭和30(1955年)年に上水内郡新町と合併して上水内郡信州新町となり、平成22(2010年)年に長野市へと編入され現在にいたっている。 この史料群はわずか文書8点のみであるが、いずれも天保10(1839)年の宗門人別帳および作人名寄帳など貢租・課役関係文書に関わる名主半次衛門家文書である。横帳以外はいずれも1箇所で紙縒で綴じる簡易綴でまとめられ、7点を包んだ状態で袋状にまとめられていた。何らかの事情がありこれらだけまとめられたものと思われるが、現存史料からは多くをうかがうことはできない。なお当館には、平成5(1993)年に購入した「更級郡鹿谷村文書」(7-4)がある。これは外鹿谷村名主家文書であり、この文書群とは出所は異なる。 |
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