更科郡生萱村島田家文書

詳細情報
資料No 更埴〔7〕/7-24
目録巻数 13
地域 更埴
古文書  生萱村(現千曲市)名主であった島田家の村方文書で、128点のうち判明する年代が天明9年(1789)から大正8年(1919)に及ぶ近世から近代にわたる文書群。長野県立歴史館が平成18年(2006)に購入した史料。
 生萱村は千曲川支流の沢山川流域に位置する松代藩領の村で、村高は元和4年(1618)の信州川中島知行目録に432石余とあり、正保4年(1647)の正保御書上、元禄15年12月(1703)の郷帳、天保5年(1834)の郷帳いずれも同高となっている。明治元年(1868)の旧高旧領取調帳では433石余とされている。戸数は安政3年(1856)に101戸、慶応3年(1867)に111戸。人数は文化6年(1809)に374人、慶応3年に507人とある。明治22年(1889)に雨宮県村の一部となり、昭和30年(1955)に埴科屋代町ついで屋代町と改称され、同34年に更埴市、平成15年(2003)に千曲市となり現在にいたっている。
 本史料によれば島田家は寛政13年(1801)以降、名主としてみえ、村政関係文書を主とする。明治以降は主として学校関係史料、土地売買・小作関係文書などが含まれている。
収蔵データ検索 資料検索

書籍・史資料

ページ先頭へ戻る