更級郡下氷鉋村文書

詳細情報
資料No 更埴〔7〕/7-20
目録巻数 10
地域 更埴
古文書  更級郡下水飽村文書は、長野県立歴史館が平成14年(2002)に購入した史料である。
 更級都下氷飽村の位置は、長野市稲里町下氷飽にあたる。東は大塚村(長野市青木島町大塚)・小島田村(長野市小島田町)、西は中氷飽村(長野市稲里町中氷鈍)、南は広田村(長野市稲里町田牧)、北は青木島(長野市青木島町青木島乙)に接する。
 点数は818点で、このうち年代がわかるものは享和3年(1803)から昭和30年(1955)までの文書405点、年代が不明の文書は413点ある。近世後期及び近現代の文書である。
 近世を通じて松代藩領で、石高は672石1斗3合(慶長7年(1602))とされる。明治22年(1889)町村制施行により中氷飽村・田牧村と合併して稲里村となり、さらに昭和30年
(1955)には小島田村・青木島村・真島村と合併して更級郡更北村となり、同41年(1966)長野市に合併した。
 本史料群に含まれる近世文書は112点あり、個人の家にかかわる文書ではなく、村政にかかわる文書が主体である。村の取り決めを記した取極書には連名で隣村青木島村の村名がみられる。社倉および囲穀に関する文書や御用に関わる文書などもあり、幕末期に名主らによって作成された村文書がまとまって存在している。慶応2年(1866)の検見に関わる史料があり、御泊買物控や諸道具借物控などの記録帳が複数存在する。その他、拝借金に関する文書、数は少ないが水堰に関する文書なども含まれる。明治期の文書は263点あり、反別名寄帳や地租金名寄帳など、新政府下での土地管理や諸制度などの改正に関わる文書が多くみられる。これらも、村全体に関わる文書が主体である。
 年代不明文書が413点あるが、戸長役場とのやりとり、通知などが多くみられる。近現代の文書が大半をしめている。

書籍・史資料

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