埴科郡矢代村柿崎家文書
資料No | 更埴〔7〕/7-18 |
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目録巻数 | 8 |
地域 | 更埴 |
古文書 | 矢代村(現千曲市屋代)は、江戸時代を通してほぼ松代藩領であった。「天保郷帳」による村高は、1715石である。村を南北に北国往還(通称:北国街道)が通っており、村内の元町(須々岐水神社より南)と新町(須々岐水神社より北)は、宿駅に指定されていた。元町、新町ににはそれぞれ村役人と宿役人おり、伝馬役を半月ごと交代でつとめた。新町組の中心となっていたのが柿崎氏であった。 |
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