更級郡赤田村新井家文書(松代藩領名主文書)

詳細情報
資料No 更埴〔7〕/7-5
地域 更埴
古文書  赤田村の肝煎、名主、蔵元などを勤めた新井家に伝わった村方文書。2,177点のうち、判明する年代が寛文6年(1666)から大正12年(1923)にまで及ぶ近世から近代にわたる文書群である。1995年(平成7)に新井袈裟光氏より本館へ寄託された。
 赤田村は、慶長5年に森忠正領。元和8年(1622)に松代藩領となり、以後幕末まで真田家による支配が続く。「慶長打立帳」によれば村高333石余で、「元禄郷帳」では337石余、「天保郷帳」では601石余、「旧高旧領」では488石余である。元禄年間の「信濃国絵図仕立帳」松山・新田の二つの枝村があった。また、享保7年には松代藩蔵入地のほかは恩田多仲の知行所一カ所(40石)があった。『長野県町村誌』によると、明治13年(1880)に戸数102、466人と記している。明治22年(1889)当村と田野口、灰原、氷ノ田、田沢、高野の六カ村が合併して信田村となった。
文書は御年貢名寄帳、御年貢名寄籾押切元帳、御小役萬書出帳、年貢上納受取証(切手)など貢租課役関係のものが多数を占めており、ついで宝永以降幕末までの宗門改帳関係のものがみられる。そのほかには地所明渡、小作年貢籾催促、新井家の請取証や書簡類などが含まれる。

書籍・史資料

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