筑摩郡南百瀬村百瀬家文書
資料No | 安筑〔5〕/5-61 |
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地域 | 安筑 |
古文書 | 本目録には、平成30(2018)年に当館へ寄贈された高島藩領南百瀬村(松本市豊丘)名主百瀬家に伝来した文書群78点を収録する。 南百瀬村は江戸期から明治初頭の筑摩郡内の村名である。牛伏川扇状地の末端に位置する小村である。もともと高島藩領百瀬村のうちであったが、旗本諏訪頼久が分地替となり、その代替として知行地の調整が図られ、百瀬村に69石を残して旗本領とし、残り11石を南百瀬村として成立させ高島藩領とした。明治期の行政区は、明治7(1874)年に豊丘村、明治22(1889)年寿村の一部となり、昭和22(1947)年松本市発足に至る。 78点のうち、江戸時代初期の写が散見されることが注目される。古くは元和年間の小笠原秀政時代の名寄帳や忠政時代の家中名簿がある。 また一紙ものでは幕末から明治の土地売買証文や、近世の願状などの一札もの、冊子ものでは年貢納帳や近代の戸長役場文書類が残っている。また神風講など講中文書もある。 高島藩時代の文書用例を集成した御用留類(5-61-78)は、公事訴訟関係文書、運上等関係、通船関係、新田開発関係などの100件を超える例文(雛形)集である。全202件の用例のうち本書は111例を掲載していることから、当初は上下2冊本だった可能性がある。村役人の文書事務のあり方を知る上で欠かせないもので、筑摩郡や高島藩領における村方研究で活用できるものといえる。 |
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