東筑摩郡朝日村高橋家文書

詳細情報
資料No 安筑〔5〕/5-53
地域 安筑
古文書  本目録には、2016(平成28)年度に当館が県外古書店より購入した標記史料を掲載する。
 まずこの史料には幕末期筑摩郡針尾村の名主慶八に関わる文書が含まれている。針尾村は鎖川の上流鉢伏山北麓にあり、当初松本藩領に属していたが、1617(元和3)年には高遠藩の支配となり明治維新に至る。古くから、古見・小野澤・西洗馬各村とあわせて四ヶ村と称し、近隣諸村同士の相互通交が盛んであった。1874(明治7)年、この四ヶ村と小野沢新田村が合併し東筑摩郡山本村となった。さらに1883(同16)年には、針尾・古見・小野澤・西洗馬村に分かれた。次いで1889(同22)年には再合併し、朝日村となった。本史料群はこの近代針尾村および朝日村時代の史料が過半を占めている。
 名主慶八の嫡子多四郎は、針尾・古見・小野澤三区会議員、朝日村会議員を長く務めている。その子慶一は朝日村収入役を経て1927(昭和2)年には朝日村長に当選している。本史料群はこの3代の史料によって構成されており、高橋家という幕末から大正期にかけての地方名望家の様相が時系列で読み取ることができるといえる。また議会関係資料からは村政および財政予算書などが通時的に見受けられ、明治・大正期の朝日村に関わる行政文書の様相も呈しているといえる。
 しかし本史料群の最大の特徴は、高橋合名会社(高橋商店)に関わる史料がまとまって残されている点にあるだろう。高橋合名会社は、多四郎によって設立され、同名一族4名による経営になる製糸会社である。会社設立以前の高橋商店時代より工女を雇用していたことは、残された契約証よりうかがえるが、1901(明治34)年には64名もの労働者との契約をおこなっており、その中には工女だけでなく「工男」契約書も含まれている。これらの書類には貸借関係の帳簿類や出荷表、横浜小野商店との取引書類、工女の勤惰表(成績表)など豊富に残されている。高橋合名会社の経営は必ずしも芳しくなく、1907(明治40)年には破産宣告申立書が出されている。
 このほか高橋家が山林・畠地地主として近隣諸村農民の土地集積を進め、小作経営をしていたことも、質地証文や貸借証文など多数の残存史料からうかがえる。
 以上から、当該史料群は、高橋氏が地主経営者・行政・会社経営者といった地方名望家の持つ諸側面をよく兼ね備えていることを明示するものであり、今後の研究が待たれるところである。
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