筑摩郡潮沢村隠岐家文書
資料No | 安筑〔5〕/5-36 |
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目録巻数 | 17 |
地域 | 安筑 |
古文書 | 本目録に収録した隠岐家文書は、平成27(2015)年4月に安曇野市明科東川手の隠岐吉雄氏より寄託を受けた史料群である。潮沢区は江戸時代には潮沢村として106石の村高であり、はじめ松本藩領麻績組に属し、のち川手組、享保11年(1727)に幕府領となった。明治8年(1875)東川手村に属した。 隠岐家は遅くとも元禄期頃からは潮沢村の庄屋を世襲し、明治期には戸長を勤めた家であり、すでに昭和20年代『東筑摩郡誌』編纂の折に目録調査され、「隠岐忠文書」として掲載されていることから、筑摩郡の村役人家文書の一つとして著名なものに数えられる。 目録件数4654件、総点数6303点の膨大な史料のうち近世関係の史料の中心は庄屋文書である。時代的には18世紀半ば以降のものが大半である。最も古いものは寛永元年の借用証文であるが私文書は比較的少ない。慶安4年(1651)「信州筑摩郡麻績組潮澤村御検地帳」が潮沢村の概況を知る最も古いもので、当時の戸数は51戸であった。なおこの検地帳(竪帳)の包紙には庄屋四郎左衛門辞世の句とおぼしきものも書き記されており興味深い。 幕末には214戸の戸数で、4倍に増加し、人口も1000人を超えている ことがわかる。 当該文書類はかつて隠岐家屋敷地の東側にある蔵に収納されていたが、1990年代後半には、木製箪笥に入れて母屋の廊下に置かれていた。明治期の戸長役場史料がかつて多数あった模様だが、その後散逸したらしく、文書群としては明治期以降の史料は私文書を中心として限定的な残存の様相を呈している。 |
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