本目録に収録した筑摩郡金山領文書は、長野県立歴史館が平成18年(2006)に購入した資料である。 金山領は、保福寺川の中流左岸に位置する金山町(金山町村)付近にあった鉛鉱山を中心として元和3年(1617)に成立した幕府領で、寛永16年(1639)には代官支配をやめて松本藩預かりとなった。 この鉛鉱山は以前から鉱床の存在は知られていたものの、元和元年になって産出された鉛で鉄砲玉を鋳て領主の小笠原秀政に献じところからが本格的な採鉱の始まりとされる。秀政の子の忠政が幕府に献じたことから、元和3年(1617)には殿野入・赤怒田・反町の3村からの500石を幕領として成立した。鉱山の地元(金山町村)は無高で鉛のみを献上したが、延宝7年(1679)に初めて7石1斗7升1合の村高が記され、「天保郷帳」による村高は8石3斗1升である。鉛産出のピークは寛永9~10年(1632~33)で4000貫に達した。 元和2年には佐渡金山から徳山五兵衛がこの鉱山の視察に訪れたとされるが、鉛は、近世に金銀を精錬するために広く用いられた「灰吹き法」に使われた金属である。 本文書は、幕領の構成を反映したものとみられ、差出や宛所が錯綜しているが、金山領の村役人に伝来たものと考えられる。年代は元和元年(1615)から昭和45年(1970)におよぶが、近代のものが多い。文書の内容は、金銭貸借の証文や質地証文が多く、鉱山に関する同時代史料は少ない。しかし、点数こそ少ないものの、行人平での鉛鉱床発見に関連する元和元年(1615)の史料(5-15-4)や、明治期の写しだが鉛運上の史料は興味深い。 当館所蔵の関連文書として、近隣で幕領の一部を成す筑摩郡赤怒田村文書(5-22/本書所収)がある。 |