本目録に収録した筑摩郡北熊井村文書は、長野県立歴史館が平成15年(2003)に購入した資料である。 北熊井村は高ボッチ高原の西麓に位置し、田川の右岸に広がる村である。この村の文献上の初出は「吾妻鏡」文治二(1186)年三月条の「熊井郷」とされる。集落の西側では、眼下で塩尻宿と松本を結ぶ「五千石道」が田川を渡河しており、町村集落の東側斜面上方には、田切地形を利用して築かれた中世城館の北熊井城がある。このような自然的・社会的条件のもと、北熊井村は比較的早くから集落が成立した場所と思われる。 現在は塩尻市に属しているが、元和3年(1617)から江戸時代末期まで諏訪藩領であった。村高をみると、寛文9年(1669)の検地では550石余で、「天保郷帳」でも550石余であった。 本文書は、北熊井村の名主家に伝来してきたものと考えられ、年代は元和8年(1622/ただし写し)から昭和9年(1934)におよぶ。内容としては、囲米や宗門送りなどの村政関係文書が多い。江戸後期から近代にかけては、地券や金銭貸借など家政に関わる史料も多く見られる。 高ボッチ高原では戦前に北熊井村の馬持ちによる草競馬が行われ、今日まで続いているが、本文書中にも馬喰関係をはじめとして馬の生産・流通に関連するとみられる史料が数点含まれる。 |