大町市清水家文書(松本藩松川組大庄屋文書ほか)
資料No | 安筑〔5〕/5-7 |
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目録巻数 | 6 |
地域 | 安筑 |
古文書 | 本目録には大町市清水家文書を収める。詳細は『長野県立歴史館文書目録』第6号によられたい。 当文書群は1999年(平成11)に当館が購入した文書である。 清水家は、大町市常盤上一にある旧家である。清水家は、近世、松本藩松川組の大庄屋や居村上一本木村の庄屋をつとめた。明治維新後も清水家の当主は、居村常盤村の村長・耕地整理組合長や学区取締・県会議員などの公職を歴任した。清水家文書とは、近世以来の清水家の公私に渡る活動の結果生み出されたものである。 清水家文書は、戦後何回か調査が行われている。1950(昭和25)年から1955年にかけて行われた北安曇郡誌改訂委員会の調査では、松川組文書を中心に目録が作成された。また、1953(昭和28)年におこなわれた近世村落自治研究会の調査は、近世村落自治資料集第1輯『松本藩松川組大庄屋清水家文書』としてまとめられている。それ以後も信濃史料、大町市史編纂時など数回の調査が行われた。 本目録では、清水家所持時の原秩序を尊重し、以下の5群に分けて収録している。 A:北安曇郡改訂委員会目録収録分 B:Aに未収録の近世・近代文書 C:Aに未収録の近世・近代文書 D:書籍・雑誌・カタログ類 E:陸軍大学・士官学校関係 F:Aの調査時に作成されたカードなど 1999年の購入以後、当館では清水家所蔵時の原秩序を尊重しながら文書をいくつかの群に分け整理、目録を編成した。 A群は、近世から明治にかけて清水家の公的活動により作成された文書で、北安曇郡誌改訂委員会 作成の旧目録に収録されたものである。今回の整理では旧目録の番号順に配列し直した。このことにより、争論の際に大庄屋へ提出された古証文の写など関連する訴状・内済証文などが1単位の史料として認識できるようになった。今回の整理により新たに増加した分は、枝番号を付与することにより物理的階層をしめした。それゆえ北安曇郡誌改訂委員会作成の目録と基本的には食い違いはない。 B、C群は、旧目録に収録されなかった近世・近代文書からなる。元来は1つの群であったが、整理方針の一部変更により2群に分けて収録した。この2群は、主に清水家の私的活動により作成された文書と明治以降の公的活動によって作成された文書からなる。大町市史編纂の段階で調査され目録が作られているが、ラベルが添付されていなかったため番号をご破算にして整理を行った。B、C群ともにこより、袋などによってまとめられている史料は、枝番号を付与することにより、物理的階層をできるかぎりしめすようにした。しかし書簡、反故紙などは収納の関係から一括扱いとした。整理の都合上一括扱いをしたものには、数量に1括と記し、備考欄に点数を記した。 D群も旧目録に収録されなかった書籍・雑誌類である。内容的には雑誌だけではなく帝国地主会や在郷軍人会関係から農業関係のカタログまで幅広い内容の冊子で構成されている。今回初めて収録される史料群である。 E群は、収納されていた容器に「近衛」と書かれていた史料である。大正から昭和にかけて陸軍の近衛歩兵師団で軍隊生活を送った清水克巳が残した史料である。克巳から実家に送られたものを鎮雄が整理し、容器に入れたものであると考えられる。容器には「近衛」と書かれていたが、主に陸軍士官学校と陸軍大学関係の文書からなる。今回初めて収録される史料群である・ F群は、北安曇郡誌改訂委員会の調査の資料である。他の群とは異なり清水家の諸活動により作成されたものではない。しかし北安曇郡誌改訂委員会による調査、その間に行われた近世村落自治研究会の調査が研究史上重要なものであることを考え、F群として位置づけた。 なお本史料群は、2008(平成20)年4月21日に長野県宝(書籍・典籍・古文書)に指定された。 |
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