本目録に収録した筑摩郡潮村文書は、長野県立歴史館が平成6年(1994)に購入した資料である。 潮村は、筑摩山地から西に流れ下って犀川に注ぐ潮沢川の左岸(南側)に広がり、谷の入口にあたる村である。現在は、安曇野市(旧明科町)に属している。 現在ではほとんどトンネル化されているが、篠ノ井線は難工事の末にこの谷を通っており、国道403号線もここを通っている。この谷は、大町市方面から流れてくる高瀬川と、松本市方面から流れてくる犀川が合流し、安曇野の交通・物流拠点であった明科と、北国脇往還の要所である西条とを、立峠の難所を経由せずに結ぶルートであった。 潮村は、当初は松本藩麻績組、後に川手組に属し、その後幕府領となった。村高をみると、享保9年(1724)当時は346石余で、「天保郷帳」では278石余である。村は基本的に北向き斜面に広がっており、しかも急傾斜地が多いので水田耕作をしにくい土地である。寛文年間の記録では、田が16町4段余なのに対し、畑が25町5段余であった。 本文書は、潮村の名主家に伝来してきたものと考えられ、年代は江戸後期のものを中心に慶安4年(1651)から明治32年(1899)におよぶ。文書の内容は、村政に関するもののほか、宗門送り・質地証文・小作証文が多い。また、様々な目的で作成された近世の村絵図が十余点にのぼり、山村の村落経営を物語る史料と言える。そのほか、近世の物流との関係で40点を超える牛方に関する送り状も注目される。 当館所蔵の関連文書として、近隣の潮山中村文書(5-14/本書に収録)、筑摩郡西条村文書(5-1/本書に収録)がある。 |