長野県立飯田中学校池田常吉関係資料
資料No | 伊那〔4〕/4-35 |
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地域 | 伊那 |
古文書 | 本目録に収録したのは、2010(平成22)年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうち、池田常吉関係の資料をおさめた。 本資料は下伊那郡飯田町に設置された長野尋常中学飯田支校に勤務した池田常吉の人事通知書および俸給通知書である。 長野尋常中学飯田支校は1893(明治26)年に設置が認可された。当初の募集はおよそ40名であった。当初の学校予算は3138円であった。この時飯田支校の教員数は5名で、中心となった教諭は神戸弥作である。神戸は慶應義塾に学んだ福澤諭吉の門下生の一人であった。このほか助教諭1名、助教諭心得3名で構成されていた。1899(明治32)年には長野県立松本中学校飯田支校となり、定員が400名に増員された。翌年には長野県飯田中学校と改称された。池田常吉はまず松本中学に採用されたのち1ヶ月後の明治33年4月から飯田中学校助教諭心得として配置された。このことからみてもわかるように、池田はまさに生徒定員が増大し、名称も飯田中学校に改称される学校改変期に際して新規採用された一人だったことがわかる。 本史料群はこうした人事通知書と俸給通知書のみで構成されたものである。いわば一教員の教職遍歴を淡々と示すものである。 |
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