伊那郡山村北沢家文書
資料No | 伊那〔4〕/4-11 |
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目録巻数 | 7 |
地域 | 伊那 |
古文書 | 本目録に収録した伊那郡山村北沢家文書は、長野県立歴史館が平成14年(2002)、平成15年(2003)の2回にわたりに購入したものである。 北沢家文書は、過去に鼎町史編さんの際に調査され、目録(以下「旧目録」と表記)が作成されている。本館が2度にわたり購入した北沢家文書は、旧目録との照合の結果北沢家で一括して所蔵されていたものと判明した。したがって本目録では2つの文書群をひとつにまとめている。なお、平成14年購入分を分類番号1とし、平成15年購入分を分類番号2として両者を区別できるようにした。 伊那郡山村は、天竜川の支流飯田松川の右岸に位置する村である。「天保郷帳」による村高は、1,464石であった。近世ごく一時期を除いて飯田藩領であった。寛文12年(1672)以降、村内は上山村(上の平)と下山村(下の平)にわかれ、それぞれ1名の庄屋がおかれた。北沢家は上山村の庄屋役をつとめた。松川の対岸に飯田城下があり、村内の茶屋 町は飯田城下の愛宕から続く在郷町として発展した。 明治維新後は、近隣の名古熊村と一色村と合併し鼎(かなえ)村となり、昭和29年町制をしき、昭和59年飯田市と合併し飯田市の一部となった。 本文書の年代は、元亀2年(1571)から明治28年(1895)におよぶ。慶長以前の年号をもつ文書は、後世の写しであり、村方文書は寛文年間以降のものとなる。その内容は、年貢関係の帳簿、村送り関係文書、村入用関係が多い。藩からの触や触に対する講書も多くあり、飯田藩の藩政を知ることもできる。また、中山道の助郷関係文書も散見される。 鼎町史編さんの際作成された北沢家文書目録(以下鼎町史目録と標記)には、1,400点余の文書が収録されているが、その全てが本館に収蔵されてはいない。その一方、本館には、鼎町史目録に収録されていない文書も収蔵されているので、両方の目録を使う際には注意していただきたい。なお、鼎町史目録収録分は、鼎町史編さんの際にコピーされてい る。 |
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