伊那郡温田村文書(伊那幕府領名主文書)
資料No | 伊那〔4〕/4-3 |
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目録巻数 | 7 |
地域 | 伊那 |
古文書 | 本目録に収集した温田村文書は、長野県立歴史館が平成8年(1996)に購入したものである。 伊那郡温田村は、下伊那郡南部天竜川の左岸に位置する村で、現在の泰阜村温田付近に相当する。「天正高帳」の村高は、88石余であった。近世初期、温田村は近隣の12か村が連合して南山村となった。森林資源の豊かな漆平野山を持つ南山村は、近世を通じて幕府領であり、飯田町に役所を置いた千村平右衛門の預かりの榑木成村(年貢米を榑木に換算して納める)であった。 南山村は、明治8年(1875)近隣17か村と合併し、泰阜村の一部となり現在に至る。 本文書の作成年代は、寛文12年(1672)から明治44年(1911)におよんでいる。文書の種類は、年貢割付状や高掛金請取など貢租関係のものが多く、年貢皆済を村人に知らせる「年貢掛札」も数枚みられる。また「未之年より柿勘定目録」など下伊那の特産品であった串柿(立石柿)の生産と流通に関わる文書もみられる。文書の出所としてあらわれる市岡氏は、千村代官所の役人であり、18世紀後半から19世紀前半の当主は、本草学などで業績を残している。 |
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